シンガーソングライター坂本健の日記

2013年11月30日

途中で語るPart.1(2は未定)

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ビール日本酒晩ご飯の後に今これを夜なのにいくTHE人間な今日この頃。
一切酒もコーヒーもやらず肉も殆ど食べず瞑想を朝夕合計2回やっていた修行僧のような日々もあったしそういう時にすごく自分の音楽が伸びたのは覚えていて、しかし今の自分が今まででは一番上にいる。いろんな時にリアルな自分に近づいている感じ。一見良くも良くなくも。修行僧になる前は肉体労働した後にジム行って飯も肉中心に今の3倍食ってたりした。
こういうことも経てスピリチュアルな精神的な部分も、圧倒的にバリバリ行動するという肉体的な部分も完全に調和した状態で同居しているというのがおそらく目指す所だろう。
両極端なものを体験して統合するというのは道を追い求め続けさえすれば自然な道のりな気がする。
完全なる必然の中にいてその中で自由な部分は感情より深い部分から発せられ結果外身には感情の様に出てくるその瞬間か。必然...全て決まっているとすれば面白みが無い様な気がするが、そうだとしても良いと思えるくらいの喜びはその瞬間。
また喜びは悲しみが存在することで客観的に素晴らしいと知覚できるのだと思う。
悲しみと喜びの奥底から生まれる瞬間の感覚は殆ど一緒か全く一緒なくらいのものだとも思う、そこはおもしろいとこだ。

『凍えるくらいの寒さでしか気づけない温もりがジャンパーの中にあったんだ』という歌詞が入る僕の曲『悲しみと喜びの世界』。これは地球のこと。今までそうやって両極のものが存在しそれによって客観的に知覚し、また本来魂にはない“悲しい”“苦しい”というものも喜びの本質を知るために体験する遊園地。それが個人レベルでも全体の地球レベルでも一つに統合していくとこにきてる。そこにあるだけになっていく。肉体で喜びを解放するオンリー的な。ちょっとくらいの時間差はあれど全ての人に。
俺はもういろんな悲しみも苦しみも充分なので楽しかったありがとーということにしてこの肉体で喜びを放出して生きるだけにしたい。なるべく早く。きっとその時期もレットイット川の流れの様にビーなのだろうけど。
やっぱり本当には音楽しかやっていない俺が喜びを放出するツールは音楽。
悲しい曲も楽しい曲も内側のギラッとする胸が爆発する様な涙が出る様なブワーっていうような奥底の瞬間は同じもの。だから表面は色々着せ替えて楽しんでよし。
そういう音楽がどんどん演奏できる様になると聴いてくれた人の不要な胸のつかえの解放にもなる。『本当の自分のため=人のため』とはこのことか。音楽をずっと追求してきてよかった。道の途中だけど。

posted by ken at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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